SALTY CARAMEL DIARY

何れ菖蒲か杜若

乃木坂46の未来はどこにあるのか①~卒業シングルについて~

こんにちは、塩キャラメルです。

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乃木坂46ドキュメンタリー映画を見て、また24thシングルの選抜発表やキャプテン桜井玲香の卒業の報を受けて、乃木坂46が大きく変容を遂げている今こそ、次の時代にも愛されるグループとして何が必要かを全4回の記事を通して考えていこうと思います。

 

今回は第1回としてドキュメンタリー映画でも主軸として描かれた「卒業」に関して、卒業シングルという形態について考えることで、メンバーの卒業への捉え方を考察していきます。

 

グループ結成以来、苦節はあれど順調にトップアイドルを目指して坂道を登っていた乃木坂にとって、一つ目の大きな転機となったのが2016年6月の乃木坂の聖母こと深川麻衣の卒業だろう。卒業シングルという形が初めてとられた14th「ハルジオンが咲く頃」はファンに強い印象を残した。

乃木坂46は2011年の結成から2016年まで主要メンバーの卒業がなく(個人的には寂しかった卒業はいっぱいあるけどね…)、前年には初の紅白歌合戦出場を果たしてまさに上り調子。そんな状況下での深川の卒業は、有能なバラエティ班として愛された永島聖羅の卒業も重なり、「"卒業"とはこういうものだ」と多くのファンに卒業を意識させる契機となった。

 

その後、16th「サヨナラの意味」(センター:橋本奈々未)、22nd「帰り道は遠回りしたくなる」(センター:西野七瀬)と卒業する人気メンバーが表題曲センターを務める"卒業シングル"が定番となった。このパターン自体は決して珍しくなく、AKB48をはじめ秋元Pのグループではよくあるスタイルである。例えば島崎遥香センターの「ハイテンション」や渡辺麻友の「11月のアンクレット」などがある。

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しかし、私はこの卒業シングルという形態は極めて危険をはらんだ形だと思っている。

 

表題曲の印象がどうしても卒業したメンバーに引っ張られてしまい、曲自体の良さをイマイチ感じられない。

良い曲というのは誰がパフォーマンスしても良いものであるはずで、特定のメンバーのみにイメージが紐づけられるのは曲自体の寿命を縮める。

たしかにライブで聞いた時に卒業生を思い出すことができるという意見も一理ある。しかし卒業生は卒業生であって、今のグループとは関係ないのである。卒業生が作りだした雰囲気や絆、印象といったソフト面を引き継ぐのは大賛成だが、楽曲というハードにソフト面を植え付けてしまっては現役メンバーにとっては毎度比較されてしまってマイナス効果だろう。

 

さらに、卒業シングルでは人気の高いメンバーにはソロ曲がつくので、収録曲数が限られるシングルの中で、貴重なユニット曲やカップリング曲が削られることになってしまう。今までにない新しい組み合わせが見られる機会がみすみす失われてしまう。

卒業曲自体は、今までグループを先頭に立って牽引してきたメンバーに対する感謝の意味合いがあり、その卒業メンバーのファンにとっては重要だろう。実際僕も西野さんの卒業曲大好きです。

しかし、"卒業"という"終わり"のイメージが楽曲に宿ってしまい、TVや雑誌などの媒体で取り上げられた時もグループの下降を暗示させるようで印象が良くない。

 

また、乃木坂46自体の新陳代謝が激しくなり卒業ラッシュとなっている現在、曲をもらえないメンバーもいるわけで、人気の差によって待遇の差が明確化してしまうというデメリットが大きい。人気メンバーなのに卒業が連続した時にはさらに上位の人気メンバーに押されてシングル表題曲を与えられない事態すら発生している。

若月佑美(18年11月30日卒業)、衛藤美彩(19年3月31日卒業)は西野七瀬(18年12月31日卒業)の陰に隠れてしまった最たる例だろう。

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14th「ハルジオンが咲く頃」までは「○○ちゃんが初センター!」「○○ちゃんが活躍するさまをイメージした曲!」のように前向きな表題曲が多かったのに対して、いつしか「○○さんを送り出す曲」というマイナスイメージがついてしまった。卒業シングルは主要メンバーが去っていくイメージを世間に喧伝しているようなものである。

 

いつのまにかメンバーもスタッフもファンも、グループからの卒業を重く捉えすぎているのではないか?

 

メンバー卒業はこれからも続く。これは避けようのない事実だ。

だからこそ"卒業"を「違う道を歩く」「別れ」というよりも、「今日はステージお休みだね」「ま、同じ地球にいるじゃんか」くらいの軽い感覚で捉えるべき時期に来ているのではないか?

 

僕は生駒里奈の卒業の仕方が最も潔く、乃木坂らしい強さを内在した儚さを感じられて、最も尊敬できるものだったと思っている。デビューから5作のセンターを務め、メンバーやスタッフからの圧倒的信頼を得ながら、最後は表題曲センターはおろかソロ曲すら拒んで、カップリングの1期生曲で自分を完璧に表現してグループを去った。

 

新しい空を切り開く風を吹かせる3期生、次の時代の暗闇を切り拓く光となる4期生たちが加入して、乃木坂は大きく変わっている。

卒業は必ず来るのだから、もっとフラットな気分でいようじゃないか。

 

卒業生が築いてきた乃木坂46はこれからも続いていくのだから。